「山門状」

重要文化財

「山門状」 さんもんじょう

藤原定家が自筆で義弟の藤原(西園寺)公経(きんつね/1171~1244)に宛てた書状で、書き出しの語句「山門衆徒......」を冠して、古くから「山門状」と呼ばれている。
延暦寺の末寺・大山寺の神人(じにん)が石清水八幡宮に属する筥崎宮(はこざきぐう)留守職(るすしき)に打ち殺された事件を発端として、朝廷への要求が受け入れられなかった延暦寺(山門)側が神輿動座におよんだ事件に対し、石清水側には罪科を課せず、山門側には神輿を帰座するようにとの院宣が下ったと報じている。この内容から建保6年(1218)定家57歳の書状であることが判明する。

【鎌倉時代 建保6年(1218)】

作者:藤原定家筆

縦32.7 横90.6

おもな収蔵品【書蹟】にもどる