帝鑑図(明弁詐書)<br/ >名古屋城本丸御殿上洛殿襖絵

重要文化財

帝鑑図(明弁詐書)
名古屋城本丸御殿上洛殿襖絵
ていかんず(めいべんさしょ) なごやじょうほんまるごてんじょうらくでんふすまえ

名古屋城本丸御殿上洛殿は、寛永11年(1634)3代将軍家光が上洛する際の御成御殿(おなりごてん)として造営され、障壁画製作は狩野探幽らに任されました。最も格式の高い上段の間と次の一之間には、治政者が政治の鑑(かがみ)とすべき中国の皇帝の故事を描く「帝鑑図」が嵌められました。江戸狩野派の祖・鍛冶橋家(かじばしけ)初代探幽は、幕藩体制が整備されていくのと同時に、将軍の権力表象のための絵画製作の規範を作り、御用絵師狩野派の基盤を築きました。

【狩野探幽筆 寛永11年(1634) 名古屋城総合事務所蔵】