葵紋瓜蒔絵膳椀

葵紋瓜蒔絵膳椀 あおいもんうりまきえぜんわん

 徳川家康の四男・松平忠吉(ただよし・1580~1607)が生前に使用し、歿後に菩提寺の性高院(しょうこういん)(現・名古屋市千種区)に納められた膳椀です。忠吉は東条松平家の養子となり、関ヶ原合戦で武名をあげて尾張一国を与えられ、清須城主となりましたが、28歳で病歿しました。近世初頭にさかのぼる由緒や年代が明確な膳椀は類例が少なく貴重です。

【松平忠吉所用 寄託品(性高院蔵) 江戸時代】