武蔵野蒔絵貝桶・合貝

武蔵野蒔絵貝桶・合貝 むさしのまきえかいおけ・あわせがい

お亀の所用と伝えられる本品は、貝桶の蓋裏の書付に、息子の初代義直と側室おさい、その娘京姫、義直の異父兄竹腰正信の妻松仙院が合貝の絵を描いたとあります。
東福門院の侍女であったおさいは、犬山城主津田信清(のぶきよ)の孫にあたり、父の津田信益(のぶます)は織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将です。元和10年(1624)に2代将軍秀忠の命で、当時世継ぎのなかった義直の側室となりました。寛永3年(1626)に長女京姫を産み、名古屋城二之丸を住まいとしたことから「二之丸様」とも呼ばれました。正室の春姫が病歿した後、江戸に下向し、義直の事実上の継室として扱われました。

【江戸時代 17世紀】