市松人形<br /><small>瀧沢光龍斎作</small>

市松人形
瀧沢光龍斎作
いちまつにんぎょう
たきざわこうりゅうさいさく

尾張徳川家20代義知夫人・正子が手元に置いていた、瀧沢光龍斎作の市松人形です。
正子が14歳であった昭和2年(1927)、アメリカから日本の子供たちに贈られた1万3千体の人形に対し、「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が贈られました。アメリカ大使・松平恒雄の娘であった正子は、公式歓迎会にて人形贈呈の大役を果たしました。この答礼人形の製作における中心的な存在であったのが、瀧沢光龍斎です。

【近代 20世紀】