刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字
"Katana" Long Sword, known as "Nansen-ichimonji."
かたな むめい いちもんじ めいぶつ なんせんいちもんじ
重要文化財「刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字」は、鎌倉時代に備前国(現・岡山県)で活躍した一文字派による刀です。地鉄(じがね)は美しくつんだ小板目(こいため)で、備前刀の特色である乱れ映りが鮮明に現れており、刃文は多様な変化をみせる大房の重花丁子乱(じゅうかちょうじみだれ)を焼いています。茎を大きく切り詰める大磨上(おおすりあげ)により反りの浅い姿になってはいますが、刃文の華麗さで知られる備前・一文字派の特徴を十分に備えた、絢爛豪華な一口です。
慶長5年(1600)、本阿弥家9代光徳(こうとく)が豊臣家所蔵の刀剣を記録した『豊臣家御腰物帳』「太閤様御代ゟ有之分帳」に記録があり、数多くの名品を有した豊臣秀吉(1537~98)が所持し、秀吉の子・豊臣秀頼(1593~1615)に受け継がれたことがわかります。その後、豊臣家と徳川家との政治的対立が深まる中、慶長16年(1611)に徳川家康(1542~1616)が京・二条城に豊臣秀頼を招いた折に、豊臣秀頼から徳川家康へ贈られました。徳川家康が歿すると、駿府城に蔵されていた本刀は遺品として尾張徳川家初代徳川義直(よしなお・1600~50)へ譲られ、2代将軍徳川秀忠へ献上、再び下賜された後は、尾張徳川家当主が受け継いでいきました。
尾張徳川家において、本刀は名刀と位置付けられ大切にされていきます。同家の各種記録を遡ると、義直の時代には本刀の附属品として「梨子地鞘」・「黒鞘」・「小刻鞘」の3通りの小サ刀拵と「衛府之太刀拵」が記録されており、また2代徳川光友(みつとも)は小サ刀や脇指として用い、寛文12年(1672)に徳川光友の子・徳川綱誠(つななり・後の3代当主)へ贈られた後には主に小サ刀として用いられたようです。幕末の16代徳川義宜(よしのり)は大小拵の刀として使用しています。このように早くから尾張徳川家当主や継嗣が帯びる重要刀剣と位置付けられており、使用方法や当主の好みに合わせて拵が新調されたり、刀装具が付け替えられたりしたため、現在も多くの附属品が遺されています。
江戸時代中期、尾張徳川家8代徳川宗勝(むねかつ・1705〜61)によってまとめられた由緒書「南泉一文字記」では、本刀を特に足利将軍家と結びつけ、足利将軍家が所持していた頃、手入れの折に刀に触れた子猫が両断されたという不思議な逸話と、中国の禅僧・南泉普願(ふがん)が堂衆に悟りを開かせるため猫を斬った公案「南泉斬猫」を重ねて「南泉」の号が付けられたと記されます。足利将軍家から豊臣家を経て徳川家康に至り、尾張徳川家へと引き継がれる、正統な為政者としての系譜を語ろうとしたのでしょう。それほどに、本刀が優れた刀剣と評価されていたことがわかります。
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概要
| 作品名 | 刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字 | "Katana" Long Sword, known as "Nansen-ichimonji." |
|---|---|---|
| 作品名ふりがな | かたな むめい いちもんじ めいぶつ なんせんいちもんじ | |
| 作者名 | ||
| 文化財指定 | 重要文化財 | |
| 作品分類 | 刀剣 | |
| 国 | 日本 | |
| 時代 | 鎌倉 | |
| 世紀 | 13世紀 | |
| 数量 | 1振 | |
| 材質・技法 | ||
| サイズ | 刃長61.5 反り1.8 茎長15.5 |
