相応院画像<br /><small>徳川義直画賛</small>

相応院画像
徳川義直画賛
そうおういんがぞう

お亀は文禄2年(1593)に家康の側室となり、仙千代(せんちよ/早世)と義直(1600-1650)を産みました。8歳で尾張国主となった義直に代わり、尾張家臣へ家康の命を伝える一方、家康への取次役も担い、また義直の異父兄である竹腰正信(のちの尾張家付家老)などの血縁者が側近となるよう働きかけました。
寛永19年に母が亡くなると、翌年、義直は尾張に宝亀山相応寺(現・名古屋市東区)を建立しその菩提を弔いました。本図は、初代義直自筆(画・賛とも)の晩年のお亀の姿です。息子が描いたお亀の姿はふくよかで気丈夫らしい人物像を伝えています。
※同じく義直が描いた「相応院画像」(相応寺蔵)がもう一幅あり、後期(10/19~11/7)に展示されます。

【江戸時代 寛永20年(1643) 相応寺蔵 展示期間:2021年9月18日~10月17日】